先日の休みに大阪城に12年ぶりに行って来ました!
大阪城は皆さんも御存知の通り
現在の天主閣は3代目で昭和6年
に市民の熱意により、復興され博物館として今に至っています。
明治以降は、陸軍用地として使われ第2次世界大戦の空襲でも損害をこおむってますが、戦後は史跡公園として整備され花見の名所と
しても有名ですよね!
余談ですが、僕のおばあちゃんが
10代の頃にこの大阪城の近くに
住んでいまして、大阪大空襲から
命からがら何とか逃げることが、
出来たと200回はおばあちゃんから聞いた事がありますが、だから
こそ今の僕がありおばあちゃんには感謝です!
1代目の天主閣の大坂城と言えばなんと言っても秀吉当時羽柴秀吉が賤ヶ岳合戦の同年
1583年に大阪本願寺跡に築城を開始
しました!
ですが、1600年関ヶ原の戦いでは、亡き秀吉の代わりに石田三成率いる西軍は負け、
徳川に政権が移り、ここでは、秀吉の息子
秀頼と母(淀殿)が住まれ、冷戦状態が続き
ましたが、家康による謀略により1614年
大坂冬の陣以降、堀を埋められ1615年
夏の陣で豊臣大坂城は僅か31年で落城し
茶々(淀殿)秀頼は自刃されます・・
大阪城内の撮影可なフィギアで、武将の中でも断トツで人気の高い真田幸村です。
真田幸村と言えば、秀吉の重臣である、大谷吉継の娘と結婚し、秀吉死後
一度は家康方とし出陣しますが、三成が豊臣政権存続を目指し挙兵したこと
を知り家康と闘う事を決意し、冬の陣では、家康軍(松平忠直、井伊直孝)を一蹴
し、翌年1615年夏の陣前に迫る徳川軍(伊達正宗の騎馬鉄砲隊)を圧倒的不利の
中撃破し、家康に恐れられ、翻意を促されるも拒否し、夏の陣では、家康
本陣に突っ込み、家康をあと一歩のところまで、追い込んだが、
壮絶な最後だったと言われています・・・
2代目徳川大坂城は秀吉大坂城よりさらに石垣を高く積み権力を尊重すべく
秀忠により1620年から10年をかけて全面的に再築されましたが、1665年
の落雷により天守を失いましたが、幕府の西日本拠点として大きな役目を果たしました。
最後まで読んで頂きありがとうございますm(__)m
戦国時代の古戦場や城など一人で旅をして色々な面でプラス
になった思います。
娘もそろそろ夏休みに入りますので、8月の休みは娘と
思いっきりでかけて遊びたいと思います!!